はいたい!研修最終日の今日も朝から南国の太陽が張り切っている中、琉球織物の研修のために「丸正織物」さん「大城廣四郎織物工房」さんへお邪魔しました。
ゆったりとした時間の流れを感じるその場所に工房とご自宅がありました。

琉球織物といっても地域によって様々な特徴があります。読谷村、知花、首里、与那国
そして今回お伺いした南風原(はえばる)です。他の地域との交流の中で徐々に織物の技術を高め、明治後期から大正初期に発達した南風原の織物。
戦争によって一時壊滅状態になりましたが、戦後に復興機運が高まり現在に織り継がれ、2017年1月には国の伝統的工芸品に指定されました。
一反作るのに構想から織りあがるまで3カ月くらいはかかるといわれる南風原の織物ですがその特徴のひとつに分業制であるということがあげられます。
①図案作り
②絣括り(かすりくくり)
③染色
④糊付け
⑤巻き取り
⑥綜絖掛け(そうこうかけ)
⑦織り
⑧検品
などの細かい工程がそれぞれの職人さんの熟練技によって作り上げられています。
ひとつひとつ、どの部分が欠けても織物ができあがらないというとても大切な作業です。
その中から今回は図案、絣括り、織りの工程について教えていただいたことや実際に見せていただいたことを皆様にお伝えしたいと思います。
まずは図案。
一見、幾何学模様に見える琉球絣ですが「御絵図帳」(みえずちょう:琉球王朝時代の首里王府の絵師が描いた絣のデザイン画集)に定められた多彩な図柄を元に職人さんたちがそれぞれの感覚を取り入れてオリジナルの柄を作り上げていきます。
昔は御絵図帳の柄は琉球王朝の方々しか使えなかったそうです。
現在使われている柄の中には植物・動物・生活用品などをモチーフにしたものが多く取り入れられており二羽で飛ぶ鳥を表した<トウイグワー>と呼ばれる柄や絣と絣をつなぐ役目もこなす<ティージクンピーマ>と呼ばれる握りこぶしを表した柄、さらには<ミミチキトーニー>と呼ばれる耳付(取手付き)の餌箱までモチーフに使われています。
絣の柄も生活の中に根付いているんですね。そんな多彩な図柄を組み合わせて作るのですから図案作りってたいへんなんだな…と思いました。

でも、デザインを考えているときは家族から「何もしてない!」みたいに言われることもあるそうで…(笑)
続いては絣括り。
くくりとは染めたくない部分を綿の糸で巻いて染まらないようにするということです。
あらかじめ<種糸>と呼ばれる、くくる場所を決めた見本の糸を作りそれに沿って絹の糸を綿の糸でくくっていきます。
この方法は絹の糸は水分を含むとふくらみ、綿の糸は水分を含むと縮む…という性質を利用しているそうです。
すべて手作業で柄に合わせて巻いていく大変な作業ですが、<地くくり>といわれるくくりは柄の部分を伏せるためではなく地の部分が染まらないようにくくっていくので範囲が広くてさらに大変な作業になります。
綿の糸を使って人の手がくくることによって染料の入り方(染まり方)が優しくて柔らかくなると思うんですよ(笑顔)と、大城幸司さん。

くくり終えた糸を染色(現在は化学染料を使用)して糊づけ(作業中の絣模様のズレを防ぐため経糸を糊づけする)、巻取り(経糸の地糸を同時巻しながらちぎり箱<ブーブー>に巻いていく)、綜絖掛け(巻き終えた経緯糸を左から順序良くすくい割竹を使って綜絖にかけていく)などを経てやっと織りの工程になります。
南風原の織物は種類が多いのもその特徴の一つです。
通常の綜絖のほかに花織を織るためのバネがついた綜絖を巧みに組み合わせて絣織はもちろん両面浮花織、緯浮花織、手花などいろいろな織物が作られています。
実際に織っているところを見せていただいたので(右から左から、上から、足元から…お仕事の邪魔をしてごめんなさい)その様子を説明しようかと思いましたが複雑すぎてムリです…ことばでは言い表せません。

織り手の方たちは手と足を器用に動かしてまるで楽器を奏でるように軽やかに織っていらっしゃいました。
私たちは織ることがどれだけ難しいかということを「琉球かすり会館」で身をもって体験させていただきました。
あらかじめ経糸の張られた機織り器に緯糸でかすり柄を織り込んでいくのですが、これがまた難しい!!
見本を見ながら織っていたはずなのになぜか意に反して柄は勝手にずれていき同じようにはできあがりませんでした(苦笑)

太い木綿の糸で織っているのにこの通りです。これを細い絹糸で柄を合わせながら織っていくのですからどれだけ細やかな気遣いのいる作業でしょうか。
その中でも最も織ることが難しいといわれる柄が「チョウバン88柄」というますの柄を組み合わせて作られたもので昔は88歳のお祝いに着られたそうです。
いわゆる<一張羅>ですね。
最後に…
いろいろなお話しを伺い、実際に自分の目で見て、南風原の織物は人々の生活の中にあるのだなと思いました。
居間の奥に機織りが置いてあり93歳のお婆さん(現地風にいうとおばあ)が機を織る姿や、図案を描く父親の姿を見ながら自然に織物の仕事をしていたというのも納得です。
(結婚の前には迷いが生じたときもあったらしいのですが…後日談)
分業というスタイルを取り入れたことで、より多くの人に自分たちの作ったきものを着てほしいという職人さんたちの願いとは裏腹に、「たくさん作れるから安いんだ」という間違った認識を持たれてしまったことはとても残念なことです。
ひとりひとり、各工程を担う職人さんたちはとても素晴らしい技術を持っているのです。人の手で作るからこその良さ、機械で作るような直線ではなく不揃いだからこそのきれいさ、やさしいラインで布や柄におおらかさがでているんですとおっしゃっていました。
ちむぐくる(真心、沖縄の人のやさしさ)があらわれたちびらーさん(すばらしい)な織物だと思います。
そんな南風原の織物との出会いはまさに一期一会なんですね!私も大切に着ていこうと思います。
ここまでおつきあいいただきにふぇーでーびる(ありがとうございます。)